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宮司講話集

「伊勢神宮のご遷宮と信長公」 
 平成5年10月19日 船岡大祭にて


 本日は皆様大変お忙しいところ建勲神社の船岡祭にご参列賜りまことに有難うございました。お蔭をもちまして今年の船岡祭も滞りなく執り収める事ができ心より厚く御礼申し上げます。

 さて皆様ご高承の通り、今年10月は伊勢神宮のご遷宮が行われました。ご遷宮とは伊勢神宮のすべてのご社殿、鳥居、橋、ご神宝等を新しく造り替える行事で、天武天皇のご勅命により、20年に1度、今年は第61回目のご遷宮で327億という巨費を投じて行われました。第1回のご遷宮は20年×60回で1200年前の筈であります。しかし実際は、第1回目のご遷宮は持統4年、西暦690年、今から1303年前で、103年間計算があいません。これは応仁の大乱に始まる戦国時代に100年程途絶えた為であります。
 天武天皇と申せば奈良に都が定まる以前の天皇でありまして、その天皇のご勅命が平安時代にもそのまま守られ、次に世の中が激動して武士の天下となっても、鎌倉幕府、室町幕府により、そのまま守り続けられて参りました。しかし、次の戦国時代になりますと、全く途絶え、100年余りが打ち過ぎました。それを再興したのが織田信長公であります。今回の第61回目のご遷宮の費用が327億円、8年がかりでありますが、ご遷宮は本当に巨額の費用と長い年月がかかるもので、327億円あれば今日では超高層ビルが2つ3つ建つ金額であります。信長公の時代でも銭三千貫目という金額は大変巨費であったに違いありません。しかし信長公は軍事的に、又、経済的に日本を統一するだけでなく、すさみにすさんだ戦国の人心を一つにまとめる為、こういった伝統の再興に惜しげもなく巨費を投じられたのであります。
 信長公は腐敗した当時の仏教を徹底的に弾圧されました。本当に腐敗した宗教程、手のつけられないものはありません。マルクスやレーニン、スターリンも「宗教はアヘン」なりとして腐敗した宗教を大弾圧しました。しかし、信長公は宗教の悪い面をにくむだけでなく、良い面を伸ばそうとされた、実に偉大な方でありました。信長公が再興された伊勢神宮のご遷宮は徳川幕府により守りつがれ、明治維新の大変動の後も、又、第二次大戦の大変動の後も変る事なく、守りつがれ、この度、第61回のご遷宮がめでたく執り行われた次第であります。

 本日の船岡大祭の直会にご遷宮の図柄の会津塗の金銀朱盃セットを皆様にお持ち帰り頂きたく用意いたしました。ご祭神信長公の偉大なご事蹟の一つをしのび、今回のご遷宮の正義を寿ぐ記念として頂ければ幸甚に存じます。

 さて今年の夏、建勲神社では、石段、参道の改修工事を大幅に行い、又、絵地図を新設させて頂きました。これは京都府の緑と文化の基金からの補助と、皆様方のご支援によりやらせて頂きました。有難うございました。
 
 本日は皆様ご参列賜りまことに有難うございました。どうか建勲神社の大神様のご加護を受けられ、益々ご健勝にご発展なさいますようお祈り申し上げます。又、今後とも建勲神社のご神徳発揚、船岡山の緑保護に向け、皆様のお力をお寄せいただきますようお願い申し上げます。本日はまことに有難うございました。

(以上)