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宮司講話集

「神様を敬うという事」 
 平成8年4月14日 大和祭にて


 満開の桜の下、今年も又、神石大平和敬神の大前に皆様お集まり頂き、例年の如く大和祭を執り行う事が出来、心より厚く御礼申し上げます。

 さて本日は「神様を敬う」という事につきお話をさせて頂きたいと存じます。よく世間で「あの人は敬神の念の篤い人だ」とか「あの人は敬神家だ」とか申しますが、敬神家とはただ単に信心深い人という事ではありません。松原静前宮司がよく申しておりましたが敬神家というのは、一言でいえば「神に祈りて最善を尽し、最善を尽して神に祈る人」であります。自己を過信せず謙虚な気持ちで神様にお願いした上で最善を尽すという前段は重要でありますが、「最善を尽して神に祈る」という後段がなかなか出来ない事であります。自己の最善を尽して事が成れば、神に祈った事を忘れて得意になり、最善を尽したのに事が成らなければ神の加護のなさをかこつというのが通例であります。最善を尽した後、又、神様に感謝の祈り、又は、おわびの祈りができるという事は本当にすばらしい事であります。
 よく一般に「人事を尽して天命を待つ」という諺がありますが、これは最善を尽した後は、事が成ろうが成らなかろうが結果はあまりこだわらないという立派な態度でありますが、「人事を尽したのだから、あとは天命を待つのみだ」という態度の中には、謙虚な慎みとか、感謝の気持ちといった事が感じられません。「神に祈りて最善を尽し、最善を尽して神に祈る」というのには遠く及ばないと思われます。

 さて本日も例年の如く大平和敬神のお守りをご参列の皆様に差し上げましたが、どうぞこのお守りを通して、謙虚な気持ちでいつも神様にお祈りし、お祈りしたからといって安心せずに自己のベストを尽し、ベストを尽して事が成ればお守りさんの事を思い出して、又、感謝の気持ちを持ち、事が成らなくても、こんなお守りなんかといって粗末に扱う事のない様にお願いします。

 本日は敬神家につきまして、松原前宮司のお話を紹介させて頂きました。第26回大和祭が滞りなく執り行われました事を心より感謝し甚だ簡単でございますが、お礼のご挨拶とさせて頂きます。

(以上)