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〒603-8227 京都市北区紫野北舟岡町49

織田信長公三十六功臣

蒲生 教秀
(氏郷、忠三郎)

父賢秀は近江日野城主で六角氏に仕えたが永禄11年(1568)に信長上洛の折、臣従。その際、嫡子であった教秀は岐阜城へ人質として差し出され信長の小姓として出仕。信長との軍談に熱心に耳を傾ける教秀を稲葉一徹がいずれ良き将になると賞賛したという。翌12年伊勢大河内城攻めに初陣。信長は非凡であった教秀を大変気に入り、同年、娘冬姫と結婚させ日野城に帰還させた。以後、武将の一人として戦歴を重ね信長家臣団の中で前田利家とならぶ出世頭となる。天正10年(1582)本能寺の変後、信長の家族を日野城にかくまい籠城。秀吉の配下となり秀吉の統一戦にて戦功をあげる。やがて会津若松城主となり氏郷と改名。奥州における秀吉の重鎮として徳川家康、伊達政宗を押さえる役割。キリスト教に帰依。千利休門下七哲の一人。