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〒603-8227 京都市北区紫野北舟岡町49

織田信長公三十六功臣

柴田 勝家
(権六)

織田家仕官後、末森城主織田勘十郎信勝(信長の弟)付き家老となる。弘治2年(1556)、尾張稲生の合戦にて信勝をたてて信長に背き敗れるが信勝とともに赦免される。永禄元年(1558)信勝が再度謀反の際、信長に密告し、信勝の死後(信長病気と偽り誘殺)に信長の家臣となり以後美濃攻略を始め主要な戦 いに主力武将として活躍、殿を務めることも多かった。元亀元年(1570)六角氏や浅井氏の抑えとして近江長光寺城に配され、天正2年(1574)には松永久秀により明け渡された多聞山城の城番も務めた。天正3年北陸方面郡の総帥として越前国統治を任され北ノ庄に城を築いて居住、天正5年には検地、4〜6 年に刀狩を行い、土木工事を奨励し産業の保護発展に努めた。天正11年、秀吉との賤ヶ岳の戦いに敗れ北ノ庄にて切腹。