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〒603-8227 京都市北区紫野北舟岡町49

織田信長公三十六功臣

菅谷(屋) 長頼
(九郎左衛門)

本姓は織田。信長より菅谷(屋)姓を賜る。父信辰は織田信秀・信長に仕えた有力武将で「小豆坂の七本槍」の一人。桶狭間の合戦に先鋒を務め討死。家督を継いだ長頼は信長の馬廻衆となりその後側近吏僚に昇格し行政面で力量を発揮。永禄11年(1568)信長上洛の際は京の治安維持にあたり、元亀元年(1570)信長狙撃事件の処理を担当。天正2年(1574)蘭奢待切取り奉行を務め、同3年越前平定後織田大明神社(剣神社)の修復を担当、その後も織田奉行五人衆の一人として活躍。安土城下の町割奉行、神吉城攻め検使役、安土宗論の立会いなども務める。天正9年には能登、越中占領政務を担当。天正10年3月木曽義昌が信長謁見の際奏者を務めた。信長の嫡子信忠の付人衆の一人となり天正10年(1582)本能寺の変に際し二条御所にて討死。