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織田信長公三十六功臣

道家 尾張守

尾張守山の人。代々尾張守と名乗っていたが、織田備後守信秀が勢力を拡大し、信秀に仕えるようになると尾張守と名乗れず、尾張といっていたらしい。信秀、信長に仕え、機密事項等に関与したとみられる。永禄3年(1564)桶狭間の戦いに勝利した後、信長は皇室に綸旨を求めたといわれるが、皇室より内密の勅使、立入左京進宗継と磯貝新右衛門が尾張に入った際に2人を迎えたとされるのが道家尾張守。その息子、道家清十郎、助十郎は、元亀元年(1570)9月越前朝倉攻めに際し、志賀宇佐山城に布陣した森可成とともに戦死。それ以前に武田氏との東美濃高野口における戦いの際、兄弟で3つ頸を取るなどの戦功を挙げ、信長自ら白い旗に「天下一の勇士なり」としたため与えたとされ、その旗をさして戦い手柄を尽して討死したという。