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織田信長公三十六功臣

平手 政秀

織田信定の家臣平手経秀の子。信秀の家老を務め、天文12年(1543)には信秀の名代として上洛。信長の誕生後は、林秀貞、青山与三右衛門、内藤勝介とともに信長の傅役となり、林秀貞に次ぐ「ニ長(におとな)」とされ、那古屋城の台所も預かった。天文15年古渡城にて信長の元服のお供をする。同16年信長の初陣を後見。同17年頃には政秀が奔走し斉藤道三の娘と信長の婚姻を実現させる。天文22年(1553)、自領の尾張国志賀村で、当時「大うつけ」と 評判になるほど型破りであった信長を諌めて自害。なお自害の少し前に政秀の長男五郎右衛門の駿馬を信長が所望しそれを五郎右衛門が断ったため信長と不和になったという。政秀自害後信長は沢彦宗恩を開山として小木村に政秀寺を開創し、厚く弔い、寺領三百貫を寄進した。