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〒603-8227 京都市北区紫野北舟岡町49

織田信長公三十六功臣

山内 一豊

父盛豊は岩倉織田氏(信安)に仕え黒田城主、永禄2年(1559)信長に攻められ岩倉城が陥落した際に自害。一豊は各地を流浪の末、織田信長配下の馬廻り役に就き元亀元年(1570)、25歳で与力として実戦に参加。秀吉の配下で、長篠の戦い、播磨攻め、有岡城攻めなど各地を転戦し数々の戦功を挙げる。天正9年(1581)2月の馬揃えに妻の内助の功によって入手した名馬で参加し信長を感嘆させたとの有名な逸話がある。天正10年(1582)本能寺の変後も秀吉の下で賤ヶ岳の戦い、小牧の戦いなどに従軍し、天正13年(1585)長浜城主、天正18年小田原の陣の後、掛川城主となる。秀吉没後、家康につき掛川城を東軍に提供して家康を感激させ、関が原の戦いに勝利した後、土佐20万石を与えられる。慶長10年(1605)没。