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宮司講話集

「日本人の宗教メンタリティー」
平成5年4月11日 大和祭にて

 本日は皆様大変お忙しいところ、又、大変ご遠方のところ、大平和敬神大和祭にご参列賜りまことに有難うございました。お蔭をもちまして今年の大和祭も滞りなく執り行う事が出来、心より厚く御礼申し上げます。又、日頃、毎月毎月交替で清掃奉仕を頂いております関西地区の各支部の皆様方にここで心より厚く御礼申し上げます。

 さて今年は年明け早々、皇太子殿下と雅子様とのご婚約という大変なニュースが流れ、我々国民は一同心から嬉しく幸福な気持ちになりました。日本の皇室は、古くから質素を旨とされ、和歌、養蚕、稲作といった伝統文化を守り、宮中賢所におきまして神様に感謝のまことをささげて神事を厳修されておられます。まさに日本と日本文化の中心、源泉であらせられ、その皇室のご慶事はまことに慶ばしい限りであります。

 ところで最近読みました本の中で、柳田国男博士が次のような事をおっしゃっておられ大変興味深く存じましたので、この場で皆様に、ご披露させて頂きたいと存じます。柳田博士によりますと、日本人の宗教メンタリティーでは神様に対する態度は「信仰」というより「信頼」であるというものであり、まことにその通りであると私も存じます。
 日本では、ご先祖様と神様とが一つであるような、二つであるような感じでありますが、このような日本の神様は丁度親が子に臨むように子孫の幸福を見守って下さるというのが日本人の神様に対する観念であり、まさに「信頼」というのがぴったりする訳であります。これに対し、ユダヤ教の全智全能の神は人であるアブラハムに対し「汝は、神と汝の子供と、どちらを愛するか」と迫り、アブラハムは、ついに自分の一子イサクを焚殺する直前にまで追いやられやっと神は「汝の心底みえたり」と許されます。こういった神様に対しては「信頼」よりも「信仰」という態度がふさわしい訳であります。
 日本人は神様に信頼をよせ、感謝し、御神徳をたたえ、祈願するのであります。人間とは全くかけ離れた神様に対し「信仰するから何か叶えてくれ」という態度ではなく、人間と半ばつながっている神様に対し、自然に信頼を寄せ、感謝するというものであります。日本人の本来の神観念は、ユダヤ教やキリスト教やイスラム教の神観念とは随分違ったものであります。
 仏教も日本に伝えられて全く日本化しましたが仏教の中でも真宗が一番広汎に行き渡ったのは、日本人のこの本来の神観念である「感謝」を取り入れているからであります。親鸞聖人の教えは、「南無阿弥陀仏」と唱えれば誰でも極楽に行けるというのではなく、極楽往生は弥陀の本願によりとうに決まっている、それに対し門徒たるものは唯感謝の称名を唱えるべしというものであります。「南無阿弥陀仏」を英語に翻訳する時「サンキューサンキュー」と訳した外国人がおりましたが、けだし名訳であるといえましょう。
 本日は、日本人の神観念の中で「感謝」という事が、その中心をなしており、又、日本の皇室の伝統も、まさに、その事の中にある事を申し上げましたが、皆様に何らかのご参考になれば大変幸甚に存じます。

 どうか皆様には出居教祖様の「みおしえ」に一層研鑽を積まれ「みおしえ」のシンボルであります「大平和敬神」神石を始め各地の神石和石のもと、益々交流を深め、ご発展なさいますようお祈り申し上げ、本日のご挨拶とさせて頂きます。ありがとうございました。

(以上)