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宮司講話集

「大平和敬神の神石が別格である五つの理由」
昭和62年11月10日 大和祭にて

 本日は皆様、大変お忙しいところ、又、ご遠方のところ、大平和敬神の十七年記念祭にご参列賜りまことに有難うございました。お蔭をもちまして今年の大平和敬神祭も滞りなく執り行う事ができ、心より厚く御礼申し上げます。

 思いおこしますと17年前の今月の今日、出居教祖様を始めこの下の広場に入りきれない程の多くの捧誠会の人々が見守る中、神石の除幕が行われました事が昨日の様に目に浮んで参ります。それから17年目の今日、西内清子さんの並々ならぬご努力により、にぎにぎしく記念祭を行う事が出来、まことに感慨深いものがございます。
 先日、出居副総裁や本部理事の方々と色々お話しする機会がございましたが、承るところによりますと、教祖がなくなられますと、どんな宗教でも古今東西を問わず、混乱が起き、信徒や会員の人数が大幅に減るのが普通であるのに、捧誠会の場合、ごくわずかの減少にとどまり、昨今、完全に下げどまったとの事で、まことに喜ばしい限りであります。これからは、皆様が一致協力され、力強く発展する方向に向かわれる事を切にお祈り申し上げます。
 その際、教祖という偉大な方がおられない訳であり、そういたしますと今後の捧誠会の道しるべは教祖の「みおしえ」と教祖の残された目に見える形のある「神石」であります。生きている人間には心と体がある如く、生きた宗教には、みおしえと形のあるシンボルが必要であります。各地に多くの神石を残された教祖のお考えの深さに今さらながら感じ入る次第であります。
 数多くある捧誠会の神石の中で大平和敬神の神石は尊く、特別、別格の神石である事は皆様ご高承の通りであります。その理由として五つの事がございます。
 第一は教祖唯一の直筆である事、第二に別格官幣社建勲神社旧本殿跡というとびきりの場所にある事、第三に建勲神社は教祖の修行時代のゆかりの地で、出居教祖が大本教の出口王仁三郎師と肝胆相照らされた最も意義深い思い出の地である事、第四に大平和敬神の五文字は建勲神社宮司松原宏整大人が天啓によって得られた五文字で大平と敬神を和でもって統一するという意味であり、捧誠会のみおしえ万物博愛の真髄をなしております。又、東洋哲学に基づく木火土金水41画の最高の五文字であります。この事はあまりにも専門的で難しくなりますので次の機会に申し上げます。第五に自然石でなく正式の白みかげ石である事です。自然石というのは何千年か何万年前かその石が出来た時からその石自体にある霊力を持っており、そこにきざまれた文字と石本来の霊力が一致する事が非常にまれである為、自然石に文字をきざむと文字の力が発揮されにくい訳ですが、この大平和敬神の神石は最高の白みかげ石を切り出し、磨き上げ、何の色も汚れもついていない生まれたてのところに大平和敬神の五文字をきざみ込んだものであり、これこそ生き生きとした力ある神石でございます。以上五つの事からみて、この神石自体が、いかに偉大な力をもっているかがわかると存じます。
 今後はこの大平和敬神の神石を中心とした各地の神石をシンボルとして、偉大なみおしえのもと、捧誠会が発展の一途を歩まれる事を祈念してやみません。そして毎年の記念祭と特に20年祭には又、この下の広場がわきかえる様に発展されますよう、心より念じつつご挨拶とさせて頂きます。ありがとうございました。

(以上)