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藤安将平刀匠の講話

3 刀への向き合い方

<日本人の自然哲学>
 日本人は、命の尊さを四季の変化の美しい日本列島の自然の中からしっかり学んできた民族だと思います。その考えを代表しているのが神社です。いわゆる神道です。神域に来て、お社に向かって手をあわせることで、気持ちが安らぎ、大きな力によって守られるという考えが、昔からあるんですね。そういう形で日本の神々は日本人を守ってきました。今は神社も宗教法人とされていますが、本来の意味で神道は他の宗教とは異なると思います。キリスト教もイスラム教も一神教ですので、全てのものに神が宿るという神道とは異なります。神道の本義とは清く明らかなるという事で、静かな落ち着いた透明感のあるものが神道であり、それはまさに日本の自然そのものです。八百万の神といわれるように、そこらじゅうに神様が存在し、その中に人間も自然の一部として生かされているという考え方です。今の方向とは全く逆です。今は自然保護だとかいって、いろんなことで自然よりも上からの視線でみています。昔の人はそうではなく、自然の中に生かされていると考えました。それは、日本人がこの日本列島の美しい自然の中から学んだ一種の自然哲学だと思います。それが神道だと思います。私が刀をもう五十何年か作ってきて、刀とは何ぞやと考えてきた中で気が付いたのが、神道もそういうことなんだろうなということです。そして気が付かないうちにそういうことを感じ取っているのが今の若い女性達だと思います。

<刀に対する本来の向き合い方>
 今、刀が御守りであるという意識からほとんど離れてしまっています。刀を買ってはそれを審査に出して、格付けが上がったらそれを買った値段より高く売って、その差額でまた次の刀を買う。そういうことを繰り返して自分は愛刀家だといっている人達がいますが、考えてみれば、そういう人達が問題にしているのは刀の値段だけなんですね。ですから、そういう人達は、愛刀家ではなく愛金家だと思います。
 ところが今の若い女性達は違います。今まで女性が刀を見るということはあまりなかったことです。そのような中で、ゲームから刀剣女子と呼ばれる人々がでてきて、それが全国に、さらに海外にまで広がっています。鶴丸国永の写しを作った時以来、私の中で非常に気になっている言葉は「美しい刀を作ってくれてありがとうございます。」という、いわゆる刀剣女子と呼ばれる皆さんの言葉です。今まで直接注文された方から「刀を作ってくださってありがとうございます。」とお礼を言われたことはあります。しかし刀を見てくださった方からお礼を言われたのは初めてです。たぶん今までの古い刀を扱っている人達は、女子供が何が刀なのか、たかがゲームではないかと、上からの視線で馬鹿にしていると思います。でも私にとっては皆様方の刀に対する思いが本物だと思います。
 今回も、全国からまた海外からも大勢の方が来てくださり、「薬研藤四郎の再現刀を作ってくれてありがとうございます。」という言葉と共に涙を流してくれます。それは非常に純粋な気持ちです。真摯な瞳、真剣なまなざし、それをひしひしと私は今感じています。ものができたときももちろん嬉しいですが、それはものと私との間のつながりだけです。ところが今回は、刀を介して、刀を見てくださる大勢の方の思いを感じることができました。ものを作る人間にとってこんな悦びはありません。これだけ大勢の人が、私の作った再現刀を整然と並んで、礼儀正しく見てくださり、お礼の言葉を言ってくださる。その姿そのものが美しいと私は思いました。そのことを師匠の山先生に話したら、それは刀がそうさせるんだとおっしゃいました。刀を前に対した時に、素直にそれを受け止める人は姿勢を正し、いずまいを正し、思わず襟を正して、そうして刀に向かうんだと。今までの刀を扱う人達の中にはそういう思いが少なかったのではないかと思います。そのような気持ちが本来の刀に対する気持ち、向き合い方だと思います。
 専門的なことは何もいりません。刀を見て美しいと感じる心さえあればいいんです。ただ刀を見て感激して、感じた純粋な思いを伝えてください。「日本刀ってすごいんだよ。」その一言でいいんです。真剣に刀と向き合ってください。必ず刀が教えてくれます。刀が守ってくれます。そしてその思いはどこからくるんだろうと疑問を持ったら、刀のことを勉強してください。たくさん名品を見ることが一番勉強になります。本物を見てください。何か教えてくれます。その事によって心を育ててください。そうすると専門家以上に刀を深く受け止める気持ちが育ってきます。刀の本が今たくさん出版されていますが、今はいい写真がたくさん掲載されていますので写真は参考になります。ただ間違いのある本がとても多いので、できるだけ文章、説明は読まないでください。本として活字になって出版されてしまうと、間違った説明が本当のことと思われてしまうのは困ったことです。
 刀を作る際は、一切のごまかしができません。非常に素直な気持ちで鉄に向かって鍛錬していかなければなりません。神社と同じように我々の仕事場にはしめ縄がはってあります。神棚があります。人に対してではなく、自らに対する結界です。ドロドロした気持ちは刀を作る現場にあってはいけません。俗の世界から自分を切り替え、純になって入らなくてはならない。物をみて涙する純粋な気持ちで我々も刀を作っています。ただその気持ちをそのまま迎えてくださるということは今までなかったことです。自分なりに作った刀と自分の思いが、そのまま皆さんに通じているということが本当に嬉しいんです。大事なのは、そういう思いで刀を見て、刀とは何ぞやということを考えてほしいということです。
 日本人は刀をお守りとして美しく研ぎ上げました。もちろん戦の現場で使うということもありますが、それも含めて日本刀が自らの命を守り、国を守り、日本という国を正しく存続させるための大きな力になっていると考え、日本人は日本刀を大切に伝えてきました。
 ところが困ったことに、そういう考えが今、ほとんどなくなりつつあります。

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