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藤安将平刀匠の講話

4 本質を見失った日本刀

<日本刀の危機>
 日本は昭和二十年八月十五日をもって大東亜戦争に敗れました。戦後、進駐軍が来て、日本中の武器を抹殺するべく集めました。当然刀もその中に入っていました。集められた刀の一部は、ガソリンをかけて焼かれたり、束ねて海に放り投げられたり、福島でも阿武隈川に何束も捨てられたということを聞いたことがあります。
 そうして刀がなくなろうとしたときに、進駐軍に対して、日本刀は単なる武器ではない、とても美しい美術品なので何とか存続させてほしいということを働きかけた人達がいました。私の刀の先生の山先生のその先の先生、本間先生と佐藤先生が中心となって刀を守るべく立ち上がりました。あくまでも個人の立場としてです。その時、国は何もしませんでした。もちろん敗れた国ですから、進駐軍のいうことをはいはい聞くしかなかったのもわかります。あの時代に刀は美術品なので残してくださいといったところで、全く文化の違うしかも敵の人間に通用するかどうかわからなかったはずです。しかし命がけで両先生がそれに立ち向かいました。その時、持参したのが、厚藤四郎です。今、東京国立博物館に収蔵されている国宝の厚藤四郎、その短刀の美が敵の人間に通用したんです。なるほどこれは美しいものだ、ほかの国の武器とは全く違う、そこで美術的価値のある日本刀については、例外として所持を認めることにしようということで、そこから戦後の刀がスタートしました。

<伊勢神宮の遷宮と日本刀>
 もちろんしばらくは刀を作ることはかないませんでした。しかし昭和二十六年から美術的に価値のあるものに限って制作も許可されることになりました。そのきっかけとなったのが、伊勢神宮の遷宮です。六十四本の直刀(奈良時代形式のまっすぐな刀)を、神さまのご料として、毎回遷宮の度に新しく作り替えます。遷宮の際には、刀だけでなく神さまの調度品全てを作り替えます。二十年に一度作り替えることは、それぞれにそれを作る人達の、世代交代にちょうどいい長さです。最初は親が仕事に携わって、二十年後には子供がそれを手伝う、さらにその二十年後には子供が主になって親がそれを手伝い、もちろん孫もそれを手伝う。そして二十年というサイクルで技術がしっかり受け継がれてきています。

<例外として美術品となった日本刀>
 現在、刀は美術品として我々も制作を許可されています。またどの刀屋さんをみても、美術刀剣と看板に書いてあります。この美術品というのは刀を守るためのいわゆる隠れ蓑だったはずのものですね。ところが、刀を作る現代刀匠達のなかで、それがだんだん、だんだん、本質とすりかわってきました。美術品としてしか通用しない刀を作るようになってしまったんです。逆に裏付けを失った刀は、その肝心な美術品の美のレベルがどんどん下がってきています。やっている本人は気がついていません。傷欠点のない、面白くもなんともない、そういう刀を作るのが本当だと思ってしまっています。特に若い人達は、はっきりいって刀を勉強していません。刀を作ることそのものはたぶん勉強していると思います。我々よりも上手な技術を持っていると思いますが、刀が本来何だったのかということの勉強が全くされていません。ですから非常に危うい刀が出来上がってしまいます。それは歴史も証明しています。

<江戸時代の教訓>
 徳川時代、慶長四年から徳川幕府が誕生し、世の中が平和になりました。そうすると室町の戦国時代のような大量の武器をつくる必然性がなくなってきます。当然、刀鍛冶は商売になりません。その時に、徳川幕府は日本刀を武士の象徴として、武士は大小を差すようにという決まりを作り、そのお蔭で刀鍛冶も生きる道ができました。刀鍛冶は大量の刀を作らない代わりに、一つ一つ個性的な刀を作るようになってきます。そうすると一見してこれは国広だ、これは虎徹だとわかるような非常にわかりやすい刀になってきます。ところがそういう風な刀になればなるほど、さっき言ったような刀の本質がどこかにいってしまう。その当時、日本鍛冶宗匠といって刀匠の一番トップであった刀匠が作った刀が、決闘の現場で木刀で叩かれて折れています。木で叩かれて折れるものはもう刀ではありません。それから古い記録の中には、馬から落ちた時に腰の大小のどちらかが鞘の中で折れたとか、犬を棟打ちしたらぽきんと折れたという話が一部にみられるようです。

<現代の日本刀が抱える問題点>
 まさに今もそれを繰り返しています。そういうものは実は日本刀ではありません。いざという時に守るべきものを守るだけの力がないんです。日本刀は単なる武器ではありませんが、武器として十分機能する強さを本来持っています。万が一の時は鉄板でも切り裂きます。
 古い刀は実際に使っても非常によく切れます。よく切れるどころかまず折れません。日本刀とはそういうものなのです。古い刀を無理やり折ろうとすると、木や竹を折ったように中がザクザクになる。中がザクザクになるということは折り返し鍛錬の時に完全にくっつけてないんですよ。ということは、表面にも傷が出るんです。ほとんどの古い刀には傷があるんです。ただ傷が気にならないほどほかの部分が美しいのであまり問題視されないのです。
 しかし新作刀といわれる、今我々が作る刀の場合は、傷があると商品になりません。返品されてしまいます。またコンクールでは傷があればそれだけで減点されてしまいます。そこでほとんどの刀鍛冶は傷のない方向で作ります。しかし傷をなくす方向に仕事を進めていくと、本来の日本刀から大きく離れていってしまいます。それがコンクールでいい成績をもらえば、それで事足りるとしてしまう今の新作刀の現状です。そうすると簡単に折れてしまう刀になりかねません。極端な話、家の中で、新作刀を振り回していて、蛍光灯のひもの先にぶらさがっているものにぶつかって、刃がかけたということもあるんですよ。熟慮すべきことです。
 しかし本当の刀を作らなくてはいけませんよといったところで、コンクールで成績が落ちれば、藤安のいうことを聞くと傷だらけのものしかできないよということになってしまう。ある時から、私はそういう現状から離れて自分の道を歩み始めました。
 人間国宝だった私の師匠(故宮入行平刀匠)は、十分な技術を以てしても、なぜ刀が折れることがあるのかと考え、時に私のような弟子にも意見を求めておりました。今、想い出してみると、師匠の偉大さをしみじみと感じさせられます。

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