船岡大祭 宮司あいさつ
「伊勢神宮のご遷宮と信長公」

本日は皆様船岡大祭にご参列給わりまことに有難うございます。船岡祭は織田信長公が天下統一の為始めて上洛された永禄11年10月19日にちなむお祭で、毎年のこの日に西陣各学区の皆様により執り行われて参りました。本日はご祭神直系に当られます織田信孝様を始め各地からもゆかりの方々のご参列を得て執り行うことが出来、洵に有難うございます。

さて今年10月、伊勢神宮の第62回目のご遷宮が行われました。皆様ご高承の通り、ご遷宮とは20年に1度、伊勢神宮のすべてのご社殿、鳥居、橋、ご神宝等を新たに造り替える事であります。ご遷宮は20年に1度で今回は第62回目ということは、第1回のご遷宮は1220年前の筈であります。しかし実際は、第1回目のご遷宮は持統4年、今から1323年前で、103年間計算があいません。これは応仁の大乱に始まる戦国時代に100年程途絶えた為であります。
ご遷宮の制度は天武天皇の勅令によるものですが、その勅令が奈良時代、平安時代500年間、そのまま守られ、次に世の中が激変して武士の天下となっても鎌倉幕府、室町幕府によりそのまま守り続けられて参りました。しかし、次の戦国時代になりますと、全く途絶え、100年余りが打ち過ぎました。それを再興されたのが織田信長公であります。今回の第62回目のご遷宮も550億円の巨費となりましたが、信長公の時代でも銭三千貫目という金額は大変な巨費でありました。しかし信長公は軍事的に、又、経済的に日本を統一するだけでなく、すさみにすさんだ戦国の世の人心をひとつにまとめる為、こういった伝統の再興に惜しげもなく巨費を投じられたのであります。
信長公は当時僧兵を雇って政治権力をふるっていた一部のお寺を徹底的に弾圧されましたが、同時にそうでないお寺やお宮を大切にされた実に偉大な方であります。現在でも、イスラム教の国々では宗教指導者が大きな政治権力を持っているのを見るにつけ、日本では今から450年前に政治と宗教が信長公の手によりはっきりと切り離されたことはまことにすばらしい事であります。
信長公により再興された伊勢神宮のご遷宮はその後も徳川幕府により守り継がれ、明治維新の後も、又、第二次大戦終戦の後も変わる事なく守り継がれ、この度、第62回目のご遷宮がめでたく執り行われた次第であります。

建勲神社では20年前のご遷宮の際、ここ拝殿下に大狛犬が寄進されましたが、この度のご遷宮に際しましては、奇しくも社号標のご寄進を賜りました。北参道、東参道を登りきって合流する絵地図前の踊り場に「別格官幣 建勲神社」の社号標が、最高級の庵治石によって作られ、田中孝一様が奉納なさいました。田中孝一様、まことに有難うございました。
この社号標の文字ですが、最近は砂彫り、空気彫り等といいますが、機械を使って彫るのが一般的で、その方が深くきれいに彫れるともいいます。しかし今回は昔ながらの薬研彫りという職人の手彫りによる技法を用いて、Ⅴ字形に文字が彫られています。見る角度によって深く見えたり浅く見えたり味わいがありますので、是非気をつけてご覧になってみてください。

建勲神社では只今、750メートルをこえる朱塗の玉垣の一新に着手させて頂いております。皆様のお力により今後共、信長公のお社にふさわしい厳かな神社として守り伝えて参りたいと存じております。

本日はご参列賜りまことに有難うございました。どうか建勲神社の大神様のあらたかなご加護の下、皆々様が益々お健やかに、お幸せにお過ごしの程お祈り申し上げます。

PAGE TOP