大和祭 宮司あいさつ
「戦後教育の弊害」

本日は皆様大平和敬神38年目の大和祭によくご参列給わりました。又、日頃は神石の清掃奉仕を頂き厚く御礼申し上げます。

さて著名な宗教学者でいらっしゃる山折哲雄先生によれば、現在の日本の社会は、殺意を帯びた人々、怒気を蔵した人々が満ち満ちている社会だそうで、ちょっとした事でいたましい殺人事件が頻発しています。この殺意怒気が内に向けば自殺という事になり、日本ではここ10年以上、毎年毎年3万人を超える人が自殺をしているそうであります。これらの現象の一番の根っこは人々の心に鬱の気持ちが宿っている事に起因しているとの事で、そういえば一昔前には鬱等はあまり聞いた事がなかった訳ですが、最近我々のごく周辺でも鬱の人の話をよく耳にするようになったと存じます。これら殺意、怒気、鬱の激増といった現象の一番の原因は山折先生によれば戦後の教育で、個人の権利と平等のみが強く打ち出された事によるとしておられます。すなわち、上を敬うとか感謝の心が忘れられ、家庭生活においても、夫婦も親子も全て平等、学校においては先生と生徒が全く平等、病院に行けば患者と医者が平等、同じ権利を持つ事になり、これはこれで大変正しい事ですが、人間の社会においては、平等だけでなく上下関係、権利だけでなく感謝の心、奉仕の心がなければ成り立ちません。人々は互いに平等というだけではかえってお互いの人間関係に悩む事になり、未曽有の数の鬱を生じる事になったのであります。
この山折先生のご指摘はすべての鬱の人、すべての殺意、怒気に当てはまる訳ではありませんが、全体的にはまことにすばらしい著眼であります。実はこの考え方、人間には平等と上下関係の両方が必要という考え方は大平和敬神の精神そのものであります。大平和敬神の「大平」は全世界の人々が平等であり、同じ権利をもち、平和であることを示しており、大平和敬神の「敬神」は文字通り神を敬う心、上を敬う心、感謝の心、奉仕の心を示しています。「大平」のみでは人々の心は必ず乱れ、「敬神」のみでは息がつまります。しっかりした「敬神」があって始めて「大平」が実現し、「大平」があって始めて本当の「敬神」があるのであります。そして「大平」と「敬神」の二つを調和させるのが、「和」であります。「和」とは、おだやかとか、仲良くするという事だけでなく、聖徳太子の十七条憲法にある「和をもって尊しとなす」の和であり、調和という積極的な意味を包含しており、この大平和敬神は実に尊い五文字であります。

ところで、大平和敬神の神石を今から38年前に中心となって建立し、護持されてきたのは西内清子さんであります。西内清子さんがなくなられて今年4月は丁度10年目に当たります。皆様と共にここに西内清子さんを偲び、ご功績を改めて讃えさせていただきたく存じます。又、それと同時にその後10年間、変わることなく立派に大平和敬神神石の護持にご尽力賜っております世話役代表の野崎弘毅さんを始め世話役の方々、皆々様に心より深く感謝申し上げたく存じます。

さて建勲神社の建物は屋根を桧の皮で葺いてある桧皮葺の建物が5棟ございます。昨年秋、そのうちご本殿、祝詞舎、手水舎の3棟の桧皮屋根を元通り葺き替えいたしました。約35年ぶりのお屋根葺替でございました。今年は、今、神饌所に着手しており、来年は拝殿を行って、すべての桧皮屋根5棟の葺替えを終えたいと存じております。織田信長公を祭るこの建勲神社の境内、大平和敬神の神域をすべて清々しく厳かな境内としていつまでもしっかり守り伝えていきたく存じている次第であります。
本日は皆様、大和祭にご参列頂き本当に有難うございました。本日お集りの皆様のご健勝と捧誠会の弥栄をお祈り申し上げ、ご挨拶とさせて頂きます。

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