本日は皆様船岡大祭にご参列賜りまことに有難うございます。船岡大祭は、ご祭神である織田信長公の偉大な功勲を後世に伝えようと毎年10月19日に行われているお祭りで、明治時代より地元の西陣各学区の皆様により執り行われてまいりました。今日は久々の本格的な雨となりましたが、ご祭神直系に当られます織田信孝様を始め各地からゆかりの方々のご参列も得まして、こうして厳かに船岡大祭を執り行うことができましたこと、厚く御礼申し上げます。また、この後予定されていた和太鼓演奏の奉納は雨天のため中止となりましたが、今日の奉納演奏に向けて準備を重ねてこられた「あづち信長出陣太鼓」の皆様には心より感謝申し上げます。
さて昨年の船岡大祭では、御成敗式目の第一条に書かれている「神は人の敬によりてその威を増し、人は神の徳によりて運を添う」という言葉を紹介させていただきました。
今年は、「古事記」の中に登場する「この漂へる国をつくり固めなせ」という言葉を紹介させていただければと存じます。
「古事記」は、奈良時代に成立した現存する日本最古の歴史書といわれ、天地のはじまりから7世紀初めの聖徳太子が活躍した推古天皇の御代までの出来事がまとめられています。古事記は上中下の3巻から成り、上巻(かみつまき)と呼ばれる1巻目に、天地のはじまりから初代神武天皇の御誕生まで、所謂「日本神話」が記されています。
天と地が初めて分かれ、次々と神々が成り坐し、イザナギノミコト・イザナミノミコトが現れるまでが、天地開闢(てんちかいびゃく)といわれる冒頭部分になります。次いで、諸々の天つ神がイザナギ・イザナミの二柱の神に「この漂へる国をつくり固めなせ」と天の沼矛(あめのぬぼこ)を授けて国造りを委ねます。
「つくり固め成せ」は、漢字では修学旅行の「修」に総理大臣の「理」、固体の「固」に完成するの「成」と書き、音読みして「修理固成(しゅりこせい)」ともいいます。「修」という漢字は「おさめる。正しく整える。直す。つくろう。」といった意味があり、「理」という漢字にも「おさめる。整える。」という意味があり、「修理固成」で「正しく整え強固なものと成す」というような意味になります。
諸々の天つ神から「混沌とした状態の国を正しく整え、強固なものと成しなさい」との詔を受けたイザナギ・イザナミの二柱の神によって国造りが始まり、大八洲国(おおやしまぐに)とも呼ばれる日本の国土が誕生します。
そして重要なのは「この漂へる国をつくり固め成す」という国造りの営みは、イザナギ・イザナミの二柱の神の御代では完結していないということです。我々の生きる世界は、常に変化し続けており、国造りも永遠に完成するということはありません。そして神道では、「修理固成」「この漂へる国をつくり固め成す」という尊い国造りの御業が、神々から神々へ、神々から人へ、さらに人から人へと託されて連綿と現在まで継承されてきていると考えます。今を生きる我々も、「修理固成」という尊い事業を受け継いでおり、1人1人がそれぞれにそれぞれが負い持つ役割に応じて、よりよい世の中をつくるという使命を託されているのです。
人の命には限りがあり、形あるものはいつかは壊れます。一方、産霊(むすひ)という、万物を生成発展させる働きによって、新しい命が生まれ、新たな物が生み出されていきます。諸行無常、万物流転とも言いますが、我々は常に変化する世の中で、変化に応じて改め直すべきものは改め直し、守り伝えるべきものは守り伝えて、よりよい明日をつくるという使命を託されているのです。
以上、簡単ですが、神道において大切な言葉と考えられている「修理固成」「つくり固め成す」という言葉についてお話しさせていただきました。
本日は皆様、ご多忙の中船岡大祭にご参列賜りまことに有り難うございました。天下布武の志のもと混沌とした戦国乱世を終わらせ天下統一に導かれた、まさに「漂へる国をつくり固め成す」ために邁進された建勲神社の大神様のあらたかなご加護の下、どうぞ皆様益々お元気に、お幸せに、お互い補いあい助けあって、平和で豊かな世をつくり固めなすという神代から継承されてきた尊い営みに今後とも勤しみ励むことができますようお祈り申し上げ、ご挨拶とさせていただきます。