本日は皆様船岡大祭にご参列給わりまことに有難うございます。船岡祭は織田信長公が天下統一の為始めて上洛された永禄11年10月19日にちなむお祭で、毎年この日に西陣各学区の皆様により執り行われて参りました。本日はご祭神直系に当られます織田信孝様を始め各地からもゆかりの方々のご参列を得て執り行うことが出来、まことに有難うございます。
さて奈良時代の始め和銅5年正月『古事記』が撰録されましてより今年は丁度1300年の節目の年に当ります。『古事記』『日本書紀』と申しますと我々戦後教育を受けた世代にとりましてはあまりその内容になじみはない訳でありまして、私も大人になってから始めて色々と研究してみました。『古事記』の特に上巻は荒唐無稽な夢物語の様に一見思われるものであり、戦後学校で神話を教えなくなったのも一理あると思われます。ただ、世界の各民族はそれぞれに民族特有の神話を持っていた様ですが、大程は断片的にしか伝わっておらず、日本の場合はギリシャ神話と共に体系的に膨大な内容の神話が書物の形で伝えられておりまして、これは日本国民の大変大きな財産であります。
世界の神話を読み比べてみますと全て荒唐無稽な夢物語である事は共通している訳ですが、この宇宙の始まりについて語る時二つのタイプがあります。第一はこの世界は全て神様によって造られたとする神話であり、第二は自然にこの世界が出来上がってきたとする神話に二分されます。
第一のタイプはセム族の神話が有名で、この神話が流布されている中近東の世界でその後ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という一神教の宗教が相次いで生まれ、世界中に広がっています。
第二のタイプの神話は中国の盤古神話、インドの神話、日本の神話、ヨーロッパの先住民のケルト神話、ゲルマン神話、バイキングの神話、古代エジプトやバビロニアの神話等、大多数の神話がこの第二のタイプであります。この第二のタイプの神話では、ある時天と地とが分かれ、太陽も月も星も山も海も動物も人間もそして神様も自然にあらわれてきたとしています。こういう神話が流布している民族では人間と神様があまりはっきり区別されておりません。例えばギリシャ神話の最高神であるゼウスがある時人間の女性と結ばれて子供が出来たという具合であります。こういう所では神と人の区別、神と悪魔の永遠の対立とか、罪と罰といった観念が前面に出てこず、人間の行動を律する基本は神々に対する罪ではなく、他の人に対する恥という概念が人の行動の基本となる訳であります。
今この国際化の時代に世界の人々の考え方の基本をみる上で、神話はまことに面白いヒントになる訳であります。
次に世界の神話で共通に出てくるお話は、ある女神様が男の神様に見ないでほしいといってある行為をすると、男の神様は約束を破ってこっそりのぞき見してしまうというお話であり、世界中ほとんどの民族の神話に伝えられている共通のお話であります。しかし、この後、多くの神話では禁を破った事に対し徹底的な報復がなされる訳ですが、日本の神話では報復はなされず、男の神は恐縮してかしこまり、女の神様はその男の神様から離れてしまうだけで何となく「もののあわれ」というか「自然と人間が一体である由の悲しみと美しさ」がこの日本の神話から伝わってくる訳であります。ヨーロッパのケルトの神話も日本の神話と同じ結末のお話になっており、ヨーロッパの一部の人から日本の源氏物語の「もののあわれ」とか、万葉集、古今集の和歌の真髄が本当によく理解される由縁がある様であります。
神話は表面的には単なる夢物語でありますが民族の一番深い観念をよく表しているものであり、20世紀最高の歴史家といわれるトインビーが民族の神話は子供が12歳頃までに是非とも親しませるべきだと力説している事も全くその通りだと存じます。本日は古事記1300年という年に当り、神話につきお話させて頂きました。
建勲神社は、船岡山の麓から現在の山上に社殿を遷宮申し上げた明治43年から百年が過ぎました。今年は東参道の石段が百年をすぎ、少しゆるんできた為、石段の積み替え工事を進めさせて頂いております。来年は朱の玉垣の一新に着手したいと存じております。皆様のお力により建勲神社を信長公の神社にふさわしい厳かな神社として伝えて参りたいと存じております。本日はご参列まことに有難うございました。建勲神社の大神様のあらたかなご加護の下、皆々様が益々お健やかに、お幸せにお過ごしの程お祈り申し上げます。