船岡大祭 宮司あいさつ
「信長公の宗教政策」

本日は皆様船岡大祭にご参列賜りまことに有難うございます。船岡祭は信長公が天下統一の為始めて上洛された永禄11年10月19日にちなむお祭で、毎年この日に西陣各学区の皆様により執り行われて参りました。

さて建勲神社では信長公の一代のご事跡を記した『信長公記』全15巻を所蔵しておりますが、この程全巻の保存修理事業を行いました。『信長公記』は国の重要文化財に指定されており、今回の費用750万円のうち600万円を文部省から補助を受ける事ができました。

ところでこの『信長公記』によりますと、今から450年前の戦国時代には日本の宗教団体の多くは武装しており、僧兵を何千人規模でかかえて、あちこちに関所を設けて通行税をとったり、いろいろな座を設けて、日本の経済を左右しておりました。各宗教団体同士の争いも激しく、日蓮宗徒による山科本願寺の焼打ちにより浄土真宗は京都を逃れて大阪の石山に移りました。又、天文法華の乱では比叡山の僧兵が大挙して山を下り、京都にある日蓮宗二十一ヶ寺をことごとく焼き払いました。
この頃天下統一を目指した信長公は各地の大名を切り従えるだけでなく、真の天下統一の為こういった宗教勢力の武装解除に力を注がれました。一方信長公は武装解除に応じた宗教や始めから武装していない禅宗のお寺とか神社を手厚く保護されました。又、当時ポルトガルから伝わってきたヤソ教キリシタンも大事にされました。これは政治的経済的に天下統一するだけでなく戦国の世のすさんだ人々の心を宗教の力によって回復させようとされたのであります。

本日は『信長公記』に記されている安土城下セミナリオの故事にちなみポルトガルギターの演奏を芦田紫門、水谷和大両氏にご奉納賜りました。信長公も420年ぶりの今日の演奏を大変お慶びくだされた事と存じ上げます。本日のお二人のキリシタン衣裳の時代考証と製作は株式会社井筒さんが全くのご奉仕でおやり頂き厚く御礼申し上げます。

さて先立って南参道に石田泰一様が石燈籠を一対ご寄進賜りました。昨年完成しました「史跡船岡山」の石の標柱や説明板と相まって南参道が随分賑やかになりました。また、この程、東参道の朱の玉垣をすべて一新させて頂き、おかげさまで境内が益々清々しくなってまいりました。

本日はご多忙の中ご参列賜りまことに有難うございました。どうか皆様には建勲神社の大神様のあらたかなご加護の下、益々お健やかにお幸せにお過ごしの程お祈り申し上げます。まことに有難うございました。

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