本日は皆様船岡大祭にご参列給わりまことに有難うございます。船岡祭は織田信長公が天下統一の為初めて上洛された永禄11年10月19日にちなむお祭で、毎年この日に西陣各学区の皆様により執り行われて参りました。本日はご祭神直系に当られます織田信孝様を始め各地からゆかりの方々のご参列を得て執り行うことができ、まことに有難うございます。
さて、この8月30日、石田泰正様より庵治石の石燈籠一対を南参道にご寄進給わりました。お蔭をもちまして南参道がより賑やかで神社らしい雰囲気となり、まことに嬉しい限りでございます。石田泰正様、本当に有難うございました。
さて皆様、最近よくお耳にされることと存じますが、刀、刀剣ブームと申しますか、久しく顧みられなかった日本刀が大変な人気で全国各地の博物館や美術館で日本刀の展覧会が行われますと、ずいぶん大勢の若い人々がお越しになるようで大変喜ばしい限りでございます。信長公も大変な刀好きと申しますか、今でいう刀マニアでございまして、天下の名刀を色々集められ、またそれを次々家臣に下賜されました。信長公の愛刀の中で今も伝わっているものも多く、当神社所蔵の重要文化財の今川義元の刀でありました「義元左文字(宗三左文字)」や黒田官兵衛に下賜され今は福岡市博物館に所蔵されております国宝の「へし切長谷部」等が有名であります。逆に信長公の愛刀で伝わっていない刀では「薬研藤四郎」が有名であります。薬研藤四郎は鎌倉時代の刀匠粟田口藤四郎吉光の作刀で、鎌倉武士の名門畠山氏の差料でありましたが、その後、松永久秀の手を経て信長公の愛刀となったものであります。信長公はこれを大変愛されまして、本能寺の変の最後までお腰につけておられました。この度、藤安将平刀匠が是非この薬研藤四郎を再現したいとの思いをお持ちになられました。幸いなことに現存していない刀ですが本阿弥光徳がこの薬研藤四郎の詳細な刀の寸法や刃文の具合を図面に記した刀絵図を残しており、それを基にこの程立派に完成されました。本能寺の変のあった日の463年後にあたる今年の7月1日、これを神社にご奉納給わりました。大変有り難いことだと存じております。信長公の家臣ゆかりの方が匿名でご奉納賜りました。まことに有難うございます。
これから10日間、この薬研藤四郎を神社の貴賓館で公開し、広く皆様にご覧いただいた後は、京都国立博物館で大切に保存して参りたく存じております。
最後に一言、9月4日の台風21号について申し上げたいと思います。この船岡山は風の筋に当たったのでしょうか大変な強風に見舞われました。この境内の木が200本以上倒れてしまいました。その倒れた木に当たりまして手水舎と麓の義照稲荷社のご社殿が倒壊いたしました。幸いなことにご本殿、拝殿、神饌所、お蔵、社務所、大鳥居等は被害を全く受けず、不幸中の幸いであったと存じております。これから境内の200本余りの倒木を処理し、また倒れた建物を元通りに、できれば元通り以上に立派に再建したいと存じております。
来年は明治2年に建勲神社が創建されてから150年目に当たります。どうか皆々様来年も賑々しくこのお祭りにご参列給わりますよう宜しくお願いいたします。どうも有難うございました。